Translate

2014/07/26

荒地野菊





かわいい夏の綿毛のボタン。
荒地野菊。
仕事で京都に。散歩にでかけた夏の京都御所で。
京都はトンボ帰りでしたが祇園祭を見て、御所を散歩してきました。

御所の前にある蕎麦屋花ももさんのすだち蕎麦は清涼の風味です。



「先々のことは考えない方だが、いつまでも子供じゃいられないから、たまに将来を思う。耐え難く不安になる。あてもないままこのまま行って、どうにかなるとは思わない。そういうとき、お抱えミュージシャンをもっている人は幸せだ。わたしの場合、ニール・ヤング。人生の危機に陥ると、「ワーズ」のライブ盤で轟音ギターを総身に浴びる。(中略)新作CDでもまた強烈なことをやっている」
「音楽は、錯覚に違いない。しかし、美しい錯覚なんだ。」(朝日新聞出版アエラより)

近藤康太郎さんがニール・ヤングの新作『A Letter Home』のことをアエラに書いていた。この話題の新作は彼の言うには音の悪さが尋常ではないようです。

「嵐が吹き荒れている」その嵐の静まるのを待つあいだに彼の言う「音楽」が表れるのだとか。耐え難い不安におそわれる反面そのカタチを見定めたいと願っている。そこに「音楽」が表れるということです。違っていたらごめんなさい。
音楽を聴くと言う行為は突き詰めれば自分のためにあるもの。どのように聴こうが自分の中に突然自分の「音楽」は表れる。近藤さんの言うようなお抱えミュージシャンやお抱えジャズがありさえすれば、それがどんなに世間の評価からかけ離れていようとも突然自分の中に「音楽」が舞い降りて来る。



ありがたいご利益のように今日も彼の言葉が心の中に舞い降りてきました。
実は近藤さんの言葉にいつも救われています。ルー・リードが亡くなった時の文章も菊地成孔さんのことを書かれた文章もとても心に沁みた。音楽を世に出す仕事をしていながら、文章を生み出す難しさに四苦八苦しています。業務用に文章を何度行き来しても「好きだから出す」の一言でしか説明できないこともあり、リリースという着地点に向かって半年ほど低空飛行を続けて何度も着陸地点をめざしてぐるぐると回り続けている感じです。
会社という組織の中でもし会議をやっていたとしたら絶対に到達することのないような未開の地。その場所へと着地点を目指し低空飛行をする日々が続きます。寝ても覚めても音楽と言葉を考えます。本を読んでも中空を漂っている日常、そこに近藤さんの言葉は入って来ます。音楽は、錯覚に違いない。美しい錯覚。言葉では説明できない美しい錯覚。その通りです。






秋に同時リリースする2つのアルバム、ツアーのことで今、悶えつつ「低空飛行」しています。「好きだから出す」だけでは全く売れないので、その部分をわかりやすい言葉で埋めています。今まで日本に紹介されることのなかった音楽を一人でも多くの人に聴いてもらうための作業をしています。これは飛行機が嵐の中着陸のタイミングを計って何度も上空を旋回しているような感じです。
たくさんの人に助けられながらやっています。
近く詳細をお知らせいたします。2つとも素晴らしい作品。どうぞお楽しみに。